身体表現としての格闘技

ステマのレッスンをたまに受けている。

格闘技への興味は元々強かったんだけど武術を極めて強くなろうというよりは、今はリラクゼーションとか身体感覚への興味が強くて、それでシステマをはじめてみた。実際システマは治療的な側面と武術的な側面が半々くらいで、どちらかが欠けてもバランスが崩れる、と先生は言っていて、そういう意味でも自分の興味に合うレッスンだったりする。で、システマがどう凄いかみたいな話は自分が語るには恐れ多いんだけど、今日のレッスンでの話が面白かったので書いてみる。

なんの話かというと、プロレスと総合格闘技の話なんだけど、パーソナルスペースの話でもある。ざっくり自分の注釈と合わせてまとめるとこんな感じ。

ライブ奏者は二回席まで相手をしないといけないので、演奏時はべらぼうにパーソナルスペースが広くなる。最近は360度の舞台装置もあるからますます広くなっている。プロレスラーなんかも目の前の相手だけじゃなくて360度全範囲にいる観客を相手にしないといけない。総合格闘技が流行ってたころのプロレスは縮こまっていたけど、今は違う(新日本プロレスの人気回復なんかまさに観客をちゃんと相手にするようになったから)。一方で今の総合格闘技は目の前の相手と縮こまって戦うから視野が狭くて、だから人気が落ちている(たしかに日本の総合格闘技に関して言えばずっと冬の時代)。でも那須川天心とか日本の若い選手は背筋が伸びて、間合いもだいぶ変わってきている(堀口なんかも空手仕込みのの軸の良さが目立つ)。

 

以上は俗流格闘技論と思われてしまう可能性もあるけど、格闘技もプロレスも一種の身体表現であるとして、周囲の観客に届くプレイをしているかという視点は興味深い。単に派手なKOが多いとか派手に殴り合ってお客さんにわかりやすいとかそういうのとまた次元の違う話。ムエタイは本場は独特の判定基準でKOを第一としていないけど、まず賭け事で相手よりも技術的に上回っていることをアピールするという意味ではジャッジも観客も意識しているわけで表現論も関わってくる。目の前の相手をKOで倒そうとするより視野が広いとも言える。

自分は格闘技の細かい技術論が好きでテクニックのない大味な試合って評価しないんだけど、身体表現としてどれだけ多くの人を相手にプレイしているか、という観点は見逃してたなと思った。観客を相手にしてる選手は目の前の相手も倒せるみたいな話をするには飛躍があるけど、身体表現論として格闘技を見るという視点があってもいいなと思った。