ゴジラ 星を喰う者見てきた

前作が地球上の生物の王者となったゴジラと人類が残したナノメタルが自立進化して増殖し都市となったメカゴジラの戦いで、このあらすじを聞いてワクワクする人とはなかなか気が合うと思うんだけどどうでしょう。

その戦いの果てにナノメタルが人類をも取り込んで人類を肉体を捨てた別の姿に進化させようとしたところで主人公ハルオが躊躇い、その油断をゴジラに突かれ破れてしまい、その責任追及の話からこの話が始まるんだけど、これもなかなかはじめから飛ばしている。人類がナノメタルに取り込まれるのは進化であるのか、それともそれを認めるのは結果、人類がゴジラと同種の怪獣になるのと変わりないのではないのか、と。

その議論の陰で、人類に手を貸して信仰を与えていた宇宙人エクシフが暗躍していて、実は人類誕生からゴジラが産まれるまでをデザインしていた存在で、地球上の文明の栄華の最期の形であるゴジラを今まで幾多の宇宙の文明を破壊してきた怪獣、ギドラを呼び寄せて倒す事でその滅びへの信仰を成就させようとする。彼らは宇宙人を含めた人類が栄華の果てに破滅の道を歩むという運命を倒錯的に救いとして捉えていて、ギドラによる滅びを崇高として受け入れようとしてるわけです。ここまで読んでついてこれてるでしょうか。

で、ゴジラに期待される怪獣プロレスの場面だけど、別の次元から呼び寄せられたギドラは重力場の歪み以外観測できず、ゴジラ接触ができない。だけど別の次元の存在であるギドラを憑代として地球の次元とつないでいる宇宙人メトフィエスをハルオが倒したことで、ギドラが別の次元との繋がりを断たれてしまい、こちらの次元で観測されて弱まったギドラを熱線で撃破するという。実況はハードSF解説だけど、やってることはコテコテのプロレスだった。

最後、地球で生き残った人類フツアとともに共生しようとしたハルオだけど、メカゴジラの遺産の乗り物バルチャーを再起動する術が見つかってしまい、自らに宿るゴジラへの怒りと人類の負の遺産であるナノメタル技術がフツアへ与える悪影響を恐れて、単騎ゴジラに特攻をかけて人類の業を清算して終わるというビターな終わり方。

これだけずらずら書いてみると、このゴジラ3部作は映画の絵面以上に怪獣が背負った概念の戦いを把握しながら観ればとても面白かったと思える。人類の繁栄はやがてゴジラのような制御し得ない存在を産み、それをコントロールするには肉体を捨て自立進化するナノメタルに身を委ねるメカゴジラのような存在になるしかない。それができない人類はギドラのような破滅の存在の姿にすら救いを求めて信仰のもとに種を途絶えさせようとする。だがなぜゴジラにこうまでも抗い続けて生きようとする人類の存在(英雄)がいるのか。その生きる欲望自体が持つ原罪という話にまでこの3部作は及んでいる。

いわゆるゴジラを期待するゴジラファンにはだいぶ違うものを出してるなという気はするけど、ゴジラというジャンルに捕らわれた作品はこれまで本当にたくさんあるわけで。何度もリブートされて死に体のゴジラを生き返させるには、それこそ庵野監督や今回の虚淵脚本のような劇薬を使わないと繰り返される単なる焼き直しの域を出ないで終わってしまう。せっかくゴジラメカゴジラキングギドラという定番の怪獣に新たな解釈を加えて、文明論にまでスケールを広げた力作なんだから、狭いジャンルの好き嫌いの話を超えて受け止められてほしいなと思う。