マルセル・デュシャンと日本美術 展見てきた

東京国立博物館 平成館で開催されているマルセル・デュシャンと日本美術展見てきました。

早速ですが見に言った方が良い展示で明日終わります(12/8現在)。ぜひぜひ見に行ってください。

 

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撮影がほぼ可だったのでブログを書くのが捗る。

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家に帰って写真を見返した時に解説も読み返せて捗る。

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デュシャンというとこの便器の作品が有名ですが

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初期はこういう絵画を書いています。なんかオーラみたいなのが出ていますよね。デュシャンはただ目に見えるものを写生するというよりも目には見えない力のようなものを描こうとしているわけです。おいおいそんな事言ってて大丈夫か、このブログ。

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つづいてこの絵です。階段から降りてくる女性を連続写真で撮ったかのように描いています。女性…?と思われるかもしれないですが、幾何学的なフォルムで人体を捉えていてそれらが連続して動く様を一枚の絵に描いているので、ちょっと人には見えにくいかもしれないです。でもこの絵の本筋はその当時の先端の科学技術が与えた新しい物の捉え方を絵画に反映させようという部分にあると思います。VRが出てきた時の驚きを覚えていると思いますが、連続写真とか人体を幾何学的な図形の運動として捉えるといった事が当時では革新的だったわけです。目に見えない力のようなものを描く、というのはそういう意味でした。

幾何学的な図形の運動?と思う方はバーチャファイターが最初に出てきた時のことを思い出してください。カクカクしたポリゴンのキャラがリアルに動いていて驚いたと思います。だいたいあんな感じです。平成ももう終わりなので通じない事もあるかもしれませんが…。

f:id:oktm3:20181208205224j:imageこれは人間の臓器をモデルにしているそうです。なるほど臓器も機械のネットワークのように考えるとこういう描き方も納得がいく。いきますね。次いきます。

f:id:oktm3:20181208230140j:imageチョコレート摩砕機。機械です。とうとう機械の設計図みたいなのに…。

f:id:oktm3:20181208205606j:imageこうしたモチーフが合体し、一つの代表作になりました。大ガラスです。

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解説は専門家に任せた。な、なるほ、ど…。

でも、ここまでの流れでデュシャンがやろうとしてる事はなんとなくつかめると思います。その当時の先端の科学が与えたインパクトを作品に定着しようとして、人体の動きや内部を機械装置のように捉えてそのエネルギーの移動を(この解説だと女性の性的魅力が下の男性にふりかかるように)描こうとしている。下が3次元というのは機械装置を設計図っぽく書いてますからわかります。上が4次元というのは難しいけど、なんか遠近感がおかしく見えないですか、煙が妙に平たいし…。

で、ここであの便器の話、作品タイトルが「泉」、の話に行きます。

f:id:oktm3:20181208230319j:imageこれはスティーグリッツ先生が撮った写真。

f:id:oktm3:20181208230124j:image本物ではありません。写真に写っているのが実物で、実物は当時のどさくさでなくなってしまったそうです。じゃあ飾られてるのは何…?

という事で、大量生産されている便器を作品として提示し、その解釈次第では作者の手仕事によらない既製品でも美術作品として認められる、というような解釈がデュシャンの泉の解説として一般的だと思います。この説明じゃ不十分だろ、と言われてしまうのも仕方ないですがだいぶざっくりと言ってこんな感じでは。レディメイド警察のみなさん、この辺で勘弁してください。

でも、ここまでの作品の流れだと、デュシャンがいきなり便器でも説明次第で美術作品になるんだよ、と言い出すのって唐突じゃないでしょうか。多分見る側が雑に見ている。ごめんなさい。

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ちょっと寄り道してこれを見てください。ガス、水道が当時は近代的な設備だったという事でそれも作品にしています。あと、この泉が批判を受けた時にデュシャンは「アメリカでまともなのは下水道設備くらいだろ」というような事を言っていたそうです。デュシャンは少なくともアメリカの下水道設備は評価していた。

これまでのデュシャンの作品の考え方からすると、この便器もアメリカの近代下水道システムの入力装置として見ていたのではないか。目の前にあるのは便器だけど、見えないその向こう側には配管がネットワークのように張り巡らされた近代的な下水道処理装置が動いている。そしてその入力装置は大量生産された便器、つまり既製品ではあるが近代的な工芸品、あるいは彫刻としても捉えられる陶器である。というわけで、目の前にある便器を端的に提示する事で背後にある巨大なネットワークまでも表そうとしていたのではないか、というのが今回自分が思いついたデュシャンの泉への解釈です。デュシャン警察の方々におかれましては寛大なご配慮をお願い申し上げます。

これ以降も展示は続きます。

f:id:oktm3:20181208222259j:imageポータブルミニチュア自作集

f:id:oktm3:20181208230353j:imageインスタレーションの先駆けのような展示

f:id:oktm3:20181208222320j:imageこれ、リー・フリードランダーとか撮りそう。

デュシャンは画家を諦めてプロチェスプレイヤーになろうとしたり、ローズ・セラヴィという名義で女装したり、今で言うe-sportsプレイヤーやバ美肉したりするのですが後年、アメリカで評価されて名実共に有名美術作家、現代美術の祖として評価を受けます。よかったですね(定型句)。

というわけで、かなり雑に紹介してしまいましたが、今回の展示で自分の中のデュシャンへの理解が大幅に更新されました。デュシャンがチェスを愛していた理由(チェスって駒という立体を盤面で動かすゲームで、盤面の向こう側には見えないけど膨大なパターンの駒の動きがある)にも、作品と通じる一貫した姿勢があることがわかった。途中で美術家をやめて光学的な作品制作に手を出したり、相当に先端的な事をやっていた。その視野の広さと思考の深さがその活動の随所に一貫して見られた。まとめを書くのが苦手です。

あとは各自ぜひぜひ展示を見に行って自分なりのデュシャン展を味わってください。何よりも自分で見て考えるのが大事。あと、展示の最後にある日本美術との関連についての展示は全く蛇足だったので割愛しました。そういうこともあります。