中谷芙二子 霧の抵抗展

水戸芸術館中谷芙二子 霧の抵抗展を見てきました。

霧の彫刻で有名な作家で、世界各地で霧を発生させるイベントを行ったり、作品が恒久設置されたりしています。

とりあえずどういう作品なのか動画で見てみましょう。

 ・・・これだとわからないかも知れません。

とはいえ霧を使った作品なので単に中に入っただけだと霧に包まれました、で鑑賞が終わってしまいます。人口の霧を発生させるなんて別に普通では?どこが彫刻?と疑問に思うかも知れません。ある意味、安易に感動しないで醒めた態度で見るって現代美術を鑑賞するときに大事だったりします。そして、そう考えはじめた方が理解がすすむので、そこから話を進めていきます。

ちなみに純水のみによる霧の発生装置の開発は、中谷さんが大阪万博に出展するためにある企業に開発を依頼したのが発端なので、当時としては画期的な事だったと言えます。ちなみにちなみに昔の大阪万博、実は日本の現代美術史においてちょっとしたターニングポイントだったりします。今度のはどうなるか知りませんが・・・。

霧の「彫刻」

これが今回の展示で使用されていた装置です。

極小の噴出口から水を吹き出し、針に衝突させる事で微粒子にして霧を発生させているそうです。霧と一口に言っても全く形がないわけではなく、微粒子一つ一つが人間の目に見えないだけで存在はしています。そしてその粒の集まりが大量に集まる事で霧という、曖昧で靄がかかった不定形なものとして我々の目の前に現れます。もちろん風が吹けば飛ぶし、建物や衣服につけば水滴に形を変えてしまいます。

一方で彫刻というと、ブロンズとか銅製の硬くてどっしりした塊をイメージするかと思います。形が固定されてまるで変化しない一般的な彫刻に対して、移ろいやすく不定形な霧を彫刻と呼んでいいのでしょうか。

なぜ「彫刻」なのか

それではブロンズや銅でできた彫刻は形をいつまでも変えないのでしょうか。そんなことはありません。長い年月をかければどんな素材もいずれ損耗することもあります。それよりも早く人の手によって撤去され、破棄される事の方がありえるかも知れません。

ならば発生と同時にすぐに形を変えてしまう霧と何が異なるのでしょうか。形を変えないことは彫刻の絶対条件にはなりません。

(まあ、程度問題といえばその通りなんですが・・・。でも、その程度を誰がどの程度に設定するのかということも作品を成立させる上で重要なポイントだったりします。)

 製作方法から考える

視点を変えてみましょう。今度は作品の作り方についてです。この作品が霧を発生さているプロセスは彫刻と呼べないのでしょうか。純水を針に当てて砕くのも彫刻らしい行為と言えるのではないでしょうか。ただその発生と変化のサイクルが極端に短いだけで、この一瞬一瞬に彫刻が無数に発生して形を変えていくのだと言ってみれば、作品を生み出しているプロセス自体は従来の彫刻と変わらないと言えるのではないでしょうか。

 父親が雪の結晶の研究で有名な中谷宇吉郎さんという方で、雪の結晶の移ろいやすい生成過程を間近で見ていた、というのもこうした作品の発想の元になってたのかも知れません。結晶は固定されているのではなく、あくまでその生成過程の一点にすぎない、という点において。

展示されていた作家のインタビュー映像で、「私の作品はネガティブな彫刻」という発言がありました。確固とした形を持たず、生成しては形を変えてしまうことを従来の彫刻と比較して、ネガティブ、という言葉を使ったのでしょう。ですが、これまででも述べた通り、作品の形式としては従来の彫刻の有り様に批評的に距離を置いていますが、作品の製作過程においては彫刻と呼んで差し支えないものだと私は思います。

というわけで、こんな感じで作品についてちょっとした論を立ててみました。その是非については見てもらいながら考えてもらえればいいかなと思うのですが、もう一点、書いておきたいことがあります。

ビデオアートの支援者としての活動

中谷さんはこの後、ビデオギャラリーSCANという場を立ち上げて日本のビデオアートや実験映像作品を支える活動も行なっています。もともと芸術家と科学者をコラボレートする試みを行なっていた「E. A. T.」というグループに参加していたので、新しいメディアを活用した作品への良き理解者でもありました。ビデオという時間を記録するメディアに対しても親しみが深いのでしょう。

大メディア(当時でいうTV)へのカウンターとして、個人でビデオ撮影した映像を発表して対抗していくという姿勢は展示を見てよく分かったのですが、かたや今スマートフォンによる映像撮影が当たり前になり、youtubeのような動画配信サイトが定着してテレビを駆逐しつつあり、そして支配的なプラットフォームとして新たな権威となりつつあるのを思うと、色々思うところがありました。

 

というわけで、長々と書いてきましたが、霧の作品ということで、単純にめっちゃインスタ映えするのでとりあえず行ってみて損することはないと思うのですが、ここに書いてあることをちょろっと思い出してくれことがあるといいな、みたいな気持ちで書いてます。実はそのSNSに投稿するための動画を撮影している事自体、中谷さんが普及に努めてきた活動の成果の一部とも言えるかも知れないわけです。そこまで思わなくてもいいけど、SNS活動の傍ら、ちょろっとでもそこにある作品について考えを巡らせてくれると何かしら捗ることもあるかと思います。実際の所、あったらいいな、くらいです。そこを考えるのがなんだか楽しい、という人は完全に美術沼の人です。ようこそ。

というわけで、以上です。