ゲームが終わった後の黙示録、夕暮れの時代としてのアベンジャーズ/エンド・ゲーム

せっかくの10連休、計画もなしにだらだらと過ごすのもどうかと思い、GWをかけてアベンジャーズシリーズを見て最終的にエンド・ゲームを観る、というプランを思いついた。
とりあえず最初のアヴェンジャーズは観ていたので

以上の4本を予習した。途中で挫折したドクター・ストレンジ、だいぶ前に見たアイアンマンも含めればギリギリ追いつけるくらいの知識を得ただろうか。いや、それでも結構このキャラ誰?という人も多かった。だいたい想像で補完すれば、概ね内容は理解できたと思うけど。

イマイチ感から抜けきれないMCU作品

ただ上に挙げた作品のどれもイマイチだと思った。どれも2時間超の作品のわりに話の盛り上がりとアクションシーンのテンションの高さが一致していないように思えた。どこか歯に物が挟まったようにストーリーが進みそれを誤魔化すようにアクションシーンが挟まれ、クライマックスでヒーロー達が暴れて終わる。最初からシリーズ物として想定されているとはいえ、エンディングで決定的な解決を見ずに腑に落ちなさを抱えたまま延々続くというのはどうにもモヤモヤした。

この中で一番面白かったのはシビル・ウォーだろうか。隠れた黒幕がアベンジャーズ同士の仲間割れを引き起こし、実質的な勝利を納めたのは話としていちばん面白かった。アクションシーンは冗長に思えたけど。

インフィニティウォーに関してはサノスの強烈な個性と最後の衝撃的な結末のインパクトはあったけど、やり口としては飛び道具的だと思った。

開始30分で訪れる大ドンデン返し

とは言いながらも結末が気になるのでエンドゲームを見たわけだけど、これが本当に見てよかった。ここまでのイマイチと思っていたMCU作品がこのエンディングで補完され、このエンドゲームがあるからこそ他のMCU作品が作品として評価できる、とすら思った。この結末のためにシリーズが続いてきたのだ、と思うと色々と合点がいった。

エンドゲームを見て最初に驚いたのがサノスの死だった(スタークが宇宙でひとりぼっちと言いながら普通にネビュラとゲームをしていたり、あっさりキャプテン・マーベルが地球に連れ戻してしまうという予告騙しの展開には閉口した)。
ぶっちゃけサノスが強いといったところで、ソーのストームブレイカーでほぼ致命傷を与えるシーンまで描いてしまったのだ。復讐をテーマにしても話としてそれほど盛り上がらないだろう、という読みをしていた。

だが脚本が一発で焦点を別の地点にズラしてしまった。唯一の希望であるインフィニティ・ストーンは消滅してしまった。悠々自適な余生を過ごすサノスを殺しても、もはや意味がなくなっていた。始まる前にすでにゲームは終わってしまっていたのだ。

サノスのお役御免

本シリーズにおいてサノスの役割は前作とこの冒頭で終わったのだろう。人類を半分にするというインパクトの強い信念を貫き通し、目的は見事に完遂された。キャラクターとしての使命はここで果たされ、以降に登場する過去のサノスはもはや形骸でしかない。サノスとの最後の戦いは映画として必要な盛り上がりを作るためのただの仕掛けに過ぎなかった。
ではエンディングまでの残された時間で語られたものはなんだったのか。それは敗北後の黙示録としての時間であり、ヒーロー達の夕暮れの時代。そして過去への贖罪と次世代への橋渡しをする物語だった。

黙示録を生きるヒーロー達の物語

サノスが去り、喪われた者達の代わりに残されたヒーロー達は後悔に押し潰されそうになりながら生きていた。アイアンマンだったスタークは家族と共にヒーロー後の人生を過ごし、バーンズはサムの代わりにセラピー教室を運営していた。ナターシャはヒーロー同士のつながりを失うまいと自らの役割に邁進し、生きる目的を見失わないようにしていた。やがてアントマンの帰還があり、喪われた者達を取り戻すための冒険がはじまる。

先に書いたが、これ以降に登場する過去のサノスとのくだりは余談でしかない。彼は今作においてほとんど本筋の重要なポイントにすら絡んでいないと思う。本筋は強敵を倒すための復讐の物語ではなく、アベンジャーとしての役割を終えた者達の旅路の話なのだ。

 インフィニティストーンを探す過去への旅

アイアンマンは自分の父と再開し、キャプテンアメリカはかつての恋人を目の当たりにする。ブラックウィドウは初めて得た自分の居場所を守るためにその身を犠牲にする。黙示録としての現在から過去へ、そして過去から未来へと往還して、道を切り開こうとする。

 思えばアベンジャーズは成立してから常に崩壊の危機に瀕していた。仲間割れというような些細な次元ではなく、巨大な力がさらなる力を呼んでしまうという宿命論的な意味において。シールドの力の肥大と自己崩壊を促したハイドラ。さらなる力の追求の末に生まれたウルトロン。アベンジャーズの被害者に復讐されるシビル・ウォー。宇宙規模の力をかけて争ったサノス。その果てに待っていたのは人類の半分が消滅するという決定的な敗北である。アベンジャーズは敗北を運命づけられていた。
インフィニティストーンを探す過去への旅路で見られたのは、本当に走馬灯ではなかっただろうか。敗北した現在から見れば、過去は常に美しく甘美である。

新しいヒーロー達との世代交代

サノスによって消されたヒーローの名を並べて気づいたのだが、いずれもフェイズ3で新しく登場した者達ばかりである。登場した途端にもう消されるのか、と思ったがこれも狙いだったのだろう。スパイダーマンドクター・ストレンジブラックパンサー、ファルコン、ワンダらの新しい世代のヒーロー達。彼らを復活させるために、オリジナルメンバーが文字通り命をかける。黄泉の世界に潜り込み、力を奪って未来を変え、その代償として自らの命を差し出す。非常にわかりやすい筋書きが描かれていた。
命を落としたブラックウィドウとスターク以外のメンバーも引退が描かれた。キャプテンアメリカは過去に戻り、これまで犠牲にされてきた自らの人生を生き直して、役目をサムへと引き継いだ。ハルクは彼の別人格と和解し、もはやかつてのブルースではなくなった。ホークアイは大きく傷つき、さらにブラックウィドウまで失い、残された家族との生活を送るのだろう。ソーも王になることをやめ、新しい仲間との旅に出た。

クライマックスでガントレットフットボールが描かれたが、そこでスパイダーマンと女性ヒーローが集結しそのしんがりを務めたのは象徴的ではなかっただろうか。第一世代のマッチョな男たちの集団との対比は明らかである。ここでも第一世代の終焉が象徴づけられていた。

敗者たちの最後の戦い、そして葬送としてのエンドゲーム

ここまで書いてきたように本作はヒーロー達が敗北した後の時代を描く黙示録の物語であり、破れたヒーロー達が未来のために過去へと戻り、黄泉から新しい世代を取り戻すという話である。アベンジャーズシリーズは最初からこの敗北を描くための物語であり、犠牲を伴う苦い物語として完結したからこそ、過去の作品の思い出が美しく見える仕組みになっている。強い力を前提としたヒーロー物を当たり前のものとして描けなくなった時代で10年もの長い間ヒーロー映画を作り続けるためには、こういう結末を描くしかなかった。その労力と見事な結末を目の当たりにして、素直に感服するしかないと思った。