~2018/10/19 あたりのニュース
更新して偉い。
サウナ
整うという感覚を知ってしまったから。
サウナーというよりは施設エンジョイ勢(?だけど、スーパー銭湯のポテンシャルはまだまだ汲みつくされていないと思う。
建築、現代美術関係
中銀カプセルタワーに一ヶ月12万(水道光熱費込み)で住むってなかなか悪くない。
有名建築に期間限定で住むのもなかなか面白い趣味だと思う。
バンクシーまとめとオークションでの事件の後の言い訳みたいなの。
これまで美術館周りで仕掛けを起こして色々やってきた人だけど、付かず離れずのポジションで利用、共存、寄生、依存といかようにも言えるグレーゾーンにいて価値を上げた人だと思う。だけど、このオークションでの行動は市場をバカにするつもりが結果的に作品の市場価値を上げてしまい、購入者とそれを受け入れる美術市場を利してしまっていて完全に悪手だったと思う。(中途半端にシュレッドしてオブジェみたいになっちゃったけど)あれ実は失敗で、こうなるのは本意ではなかったと言いたげだけど、行動の成果物の出来不出来の問題ではなく、アクションを実行した事自体が本筋であるはずで、その本筋の行動自体には特に尖った批評性が備わっていない事はちゃんと見ないと、単なるSNSのバズマーケティングの反響の大きさと作家への評価を混同してしまいかねない(そうさせる事がこの人の目的だったとしたらなおさら)。
しかし、作家がどのような考えを持っていたとしても、作品を見る者がどう受け取るかはまた別の問題だ。今回、誤解が広まってしまったのは、像の造形的なわかりやすさによるところが大きい。放射線防護服のように見える、ガイガーカウンターかのような数値計にゼロが並んでいる、そして何より、「こむこむ」前で作品を見る人は、作家の過去の取り組みを知るよしもない。公共空間に置かれた作品は美術館や芸術祭とは異なり、造形表現に込められた暗喩や明喩をめぐる約束事を共有した人ばかりが見るわけではないからだ。
そこにあるものが、たとえわかりやすく明快な造形であったとしても、重層的な意味の重なりや背景を有し、何かの象徴であるという理解は、美術空間を一歩出てしまえば共有されることは難しい。そのような状況で、人は目に入ったものをそのまま受け取る。だからこそ公共彫刻の恒久設置には、美術空間と公共空間の性格の違いを踏まえ、住民のコンセンサスを得ることが必要なのだ。
彫刻家で戦後彫刻史についての論考を発表されている小田原のどか氏の記事。現代美術側からの視点だけだとなかなか上記のような言葉は出てこないと思う。
小田原さんが編集、出版した上記の本を購入して読んだけどこれが相当面白い。公共彫刻の歴史の問題はご当地アニメキャラクター像にも繋がってくるし、インスタグラム映えに映ったその彫刻の話でもある。美術界だけの話でなく、まさに私たちと公共空間に存在するこれらの彫刻との関係の話なので幅広く読まれてほしい。続刊も期待しています。
ガジェット、機材
増えるスマホのカメラ 二眼・三眼で生まれる価値とは https://t.co/9Mf9rW1DsP pic.twitter.com/vgwaMqlN9u
— ASCII.jp編集部 (@asciijpeditors) October 18, 2018
なんでスマホのカメラが多眼化しているのかよくわかる記事。
防水コンパクトとかもこの方向に行ったら面白いのになーと思う。
昔の人気記事がトップ欄に張り付いたまま固定されててやる気あるのかと思われた家電会議がようやくリニューアル。
折りたたみもできるみたいで旅行のサブバッグにちょっとよさそう。
話題の3kg荷重にも耐える強剛性ミニ三脚。
かわいいけど、これじゃ階段は登れないじゃん。
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これだ。
サッカー
直角ドリブルと言われると中島を葵新伍の系譜で見てしまう。
アニメ
国がブロッキングをできるってこういう事だよな。
随時更新。