中谷芙二子 霧の抵抗展
霧の彫刻で有名な作家で、世界各地で霧を発生させるイベントを行ったり、作品が恒久設置されたりしています。
とりあえずどういう作品なのか動画で見てみましょう。
キター pic.twitter.com/qR2MtQcz0l
— alonebotch (@alonebotch) 2018年12月23日
・・・これだとわからないかも知れません。
とはいえ霧を使った作品なので単に中に入っただけだと霧に包まれました、で鑑賞が終わってしまいます。人口の霧を発生させるなんて別に普通では?どこが彫刻?と疑問に思うかも知れません。ある意味、安易に感動しないで醒めた態度で見るって現代美術を鑑賞するときに大事だったりします。そして、そう考えはじめた方が理解がすすむので、そこから話を進めていきます。
ちなみに純水のみによる霧の発生装置の開発は、中谷さんが大阪万博に出展するためにある企業に開発を依頼したのが発端なので、当時としては画期的な事だったと言えます。ちなみにちなみに昔の大阪万博、実は日本の現代美術史においてちょっとしたターニングポイントだったりします。今度のはどうなるか知りませんが・・・。
霧の「彫刻」
— alonebotch (@alonebotch) 2018年12月24日
これが今回の展示で使用されていた装置です。
極小の噴出口から水を吹き出し、針に衝突させる事で微粒子にして霧を発生させているそうです。霧と一口に言っても全く形がないわけではなく、微粒子一つ一つが人間の目に見えないだけで存在はしています。そしてその粒の集まりが大量に集まる事で霧という、曖昧で靄がかかった不定形なものとして我々の目の前に現れます。もちろん風が吹けば飛ぶし、建物や衣服につけば水滴に形を変えてしまいます。
一方で彫刻というと、ブロンズとか銅製の硬くてどっしりした塊をイメージするかと思います。形が固定されてまるで変化しない一般的な彫刻に対して、移ろいやすく不定形な霧を彫刻と呼んでいいのでしょうか。
— alonebotch (@alonebotch) 2018年12月24日
なぜ「彫刻」なのか
それではブロンズや銅でできた彫刻は形をいつまでも変えないのでしょうか。そんなことはありません。長い年月をかければどんな素材もいずれ損耗することもあります。それよりも早く人の手によって撤去され、破棄される事の方がありえるかも知れません。
ならば発生と同時にすぐに形を変えてしまう霧と何が異なるのでしょうか。形を変えないことは彫刻の絶対条件にはなりません。
(まあ、程度問題といえばその通りなんですが・・・。でも、その程度を誰がどの程度に設定するのかということも作品を成立させる上で重要なポイントだったりします。)
製作方法から考える
視点を変えてみましょう。今度は作品の作り方についてです。この作品が霧を発生さているプロセスは彫刻と呼べないのでしょうか。純水を針に当てて砕くのも彫刻らしい行為と言えるのではないでしょうか。ただその発生と変化のサイクルが極端に短いだけで、この一瞬一瞬に彫刻が無数に発生して形を変えていくのだと言ってみれば、作品を生み出しているプロセス自体は従来の彫刻と変わらないと言えるのではないでしょうか。
父親が雪の結晶の研究で有名な中谷宇吉郎さんという方で、雪の結晶の移ろいやすい生成過程を間近で見ていた、というのもこうした作品の発想の元になってたのかも知れません。結晶は固定されているのではなく、あくまでその生成過程の一点にすぎない、という点において。
展示されていた作家のインタビュー映像で、「私の作品はネガティブな彫刻」という発言がありました。確固とした形を持たず、生成しては形を変えてしまうことを従来の彫刻と比較して、ネガティブ、という言葉を使ったのでしょう。ですが、これまででも述べた通り、作品の形式としては従来の彫刻の有り様に批評的に距離を置いていますが、作品の製作過程においては彫刻と呼んで差し支えないものだと私は思います。
というわけで、こんな感じで作品についてちょっとした論を立ててみました。その是非については見てもらいながら考えてもらえればいいかなと思うのですが、もう一点、書いておきたいことがあります。
ビデオアートの支援者としての活動
中谷さんはこの後、ビデオギャラリーSCANという場を立ち上げて日本のビデオアートや実験映像作品を支える活動も行なっています。もともと芸術家と科学者をコラボレートする試みを行なっていた「E. A. T.」というグループに参加していたので、新しいメディアを活用した作品への良き理解者でもありました。ビデオという時間を記録するメディアに対しても親しみが深いのでしょう。
大メディア(当時でいうTV)へのカウンターとして、個人でビデオ撮影した映像を発表して対抗していくという姿勢は展示を見てよく分かったのですが、かたや今スマートフォンによる映像撮影が当たり前になり、youtubeのような動画配信サイトが定着してテレビを駆逐しつつあり、そして支配的なプラットフォームとして新たな権威となりつつあるのを思うと、色々思うところがありました。
というわけで、長々と書いてきましたが、霧の作品ということで、単純にめっちゃインスタ映えするのでとりあえず行ってみて損することはないと思うのですが、ここに書いてあることをちょろっと思い出してくれことがあるといいな、みたいな気持ちで書いてます。実はそのSNSに投稿するための動画を撮影している事自体、中谷さんが普及に努めてきた活動の成果の一部とも言えるかも知れないわけです。そこまで思わなくてもいいけど、SNS活動の傍ら、ちょろっとでもそこにある作品について考えを巡らせてくれると何かしら捗ることもあるかと思います。実際の所、あったらいいな、くらいです。そこを考えるのがなんだか楽しい、という人は完全に美術沼の人です。ようこそ。
というわけで、以上です。
企業CMあるいは広告としてのアニメ作品について
今やアニメは全年齢層に刺さるツール、アニメを使ってターゲット層に訴求しよう、短尺アニメによる広告、PR戦略が今の時代に打ってつけ、アニメスタジオと企業との橋渡しを電通がやります、よろしく。という記事。
企業広告をアニメで、というのはもはや珍しくない。
コミックスウェーブフィルムと新海誠監督によるアニメCMはだいぶ前から話題になってたし。
そういや日清もだいぶ前からアニメCMやってた。
マクドナルドのCMをスタジオコロリドが製作したり。
しかし、こうした日本アニメへの注目度に比べると、
海外市場でのマーケティング活用事例は、まだそこまで多くありません。
アニメを活用したマーケティング・ソリューションをより高度に、
広範なものに進化させていきたい。
そんな思いのもと、電通は今年10月22日(アニメの日)、
グループ横断組織「Dentsu Japanimation Studio」
(電通ジャパニメーションスタジオ、以下DJS)を立ち上げました。
との事。
ガンダムだってプリキュアだってある意味では玩具を売るための販促ツールなので、動画コンテンツ全盛の今、アニメを広告目的に活用しましょう、というのは先祖返りというかごく当たり前の自然な流れだと思う。最近ではアプリゲーの販促のためにまずアニメを作ってファンを増やし、そこからゲームをリリースしてファンを動員しよう、みたいなパターンも数多くある。
例えばウマ娘。
例えが悪かった。アニメが一応終了し、ゲームリリースのはずがいまだに配信されず。
【あかねさす少女】提供終了のお知らせ
平素より『あかねさす少女』をご利用いただき、ありがとうございます。
『あかねさす少女』は皆様にご支援いただき運営を行ってまいりましたが
まことに勝手ながらサービスを終了させていただくこととなりました。
アニメが最終回を迎えたタイミングでまさかのサービス終了のお知らせ・・・。
一部に愛されたアニメ、ファンタジスタドールもゲームが早々に終了。だけど、なぜか10日後に復活、そしてまた眠りにつくというドラマチックな展開があったそうな。
そういえばけものフレンズはアプリが鳴かず飛ばず、しかしアニメがヒットしてコンテンツ自体が復活、今では複数のアプリがリリースされる状態に。
とはいえ最終的にはこういう事態に至ったのですが・・・。
けものフレンズは、アニメ作品がコンテンツ全体を再浮上させる奇跡の逆転劇を起こした例でもあり、その一方で、奇跡を起こしたが故にファンの作品への愛が巡りめぐって親会社にまでダメージを与えてしまった例でもあった。まあ、これは特殊な事例のはず。
「アニメ×マーケティング・ソリューション」に取り組む上で、私たちが大切にしている考えがあります。
それは、
アニメ広告を作るのではなく、アニメ作品を創る。
ということです。
広告会社の人間がこんなことを言うのはおかしな話ですが、
「作品を主に。広告を従に」という考えをクライアントとも共有して、
プロジェクトを推進しています。
これは、私たちが実施した案件に対する検証からも見えてきていることですが、商品・サービスを前面に押し出さなくても、一つの「作品」として優れたものを送り出せれば、むしろそちらの方が視聴者は企業やブランドに対してポジティブな感情を持ってくれます。
あくまでも「良いアニメ作品」であることが、結果的には企業のブランド価値を高めていくコンテンツになるのです。
自動車メーカーのスバルがGAINAXとコラボして製作されたアニメ、放課後のプレアデス。 のちにTVアニメにもなったけど、それ以前にyoutubeで公開されたバージョン。魔法の杖の効果音がスバルの車のエンジン音という以外、そこまで車を前面に押し出した作りにはなっていない。個人的にはTVアニメも含めてとても好きな作品だし、この作品を産むきっかけとなったスバルに対しても当然悪いイメージは持っていない。このアニメでスバルへの企業イメージが上がったかというと微妙だけど、自分が持ったくらいの微妙な好意を獲得できるだけでも企業としては大成功なのかも。
というわけで作品ファーストを打ち出すDJSの言葉はとりあえず前向きに受け止めたい。ウマ娘はいいアニメだったし、あかねさす少女もそんなに悪くなかった。どんな経緯にせよ産まれたアニメ作品はとりあえず残るのです。そこはポジティブに捉えたい。だからこそ、作品ファーストと言っていく事は大事。
以上です。
今年買ってよかったもの、そうでもなかったもの2018
…という定番ネタをやります。
Osmo mobile2
世界ふれあい街歩きのような手ブレなし歩行動画を撮りたいという気持ちがあって買ってみたんだけど、歩行のショックを完全には消せずに残念な気持ちに。自分のハードルが高すぎるだけなんだけど。ジンバル歩きという歩法を身につけるとだいぶマシになるらしいけどそれで街中をずっと歩くわけにも行かないし。人間の視覚も歩いてると歩行の衝撃を受けているんだけど、実は脳内で補完してしまうらしい。いっそドローンが並走してくれればいいのに。そうこうしているうちにPOV視点よりも定点の視点、例えばアクションカムをどこかに置きっぱなしにして映ってる映像を撮る方に興味が出てきてしまった。無機物の視点。リズと青い鳥のカメラワークみたいな視点。
今日の荒野行動です https://t.co/PIeztAf6c4
— alonebotch (@alonebotch) 2018年4月30日
iPad pro
これはインフラみたいな物なのでなんのためらいもなく即購入。思えばこれも発表会の中継を見て上がったテンションで買ったので、ジャパネットたかたの通販番組見て買っちゃう人と消費行動が変わらない気が。
X-T3から直接画像を取り込んだり、kindleもdマガジンもこれで読んだり、ブログもこれで書いたり。来年photoshopや品薄のキーボードを追加するとさらに手放せない存在になりそう。とはいえ持ち歩くには大きく、純粋に文章を読む用の電書リーダーがあるとさらに捗るのだけど。一体いくつ板を買う気なのか。
X-T3
paypayのテンションで頭おかしいままに買ったやつ。性能的にはなんの不満もないけど、まだ全然使えていないという。がんばって償却し倒さねば。USB-C端子があるのでiPad proと即接続できて便利。
初めてのbluetooth イヤホンなので離れた距離で聞ける、と普通に感動した。
ユニクロの3Wayバッグ
この3wayバッグ、主にリュックとして使ってるけど一泊二日用にちょうどいいサイズ。いわゆるリュックリュックしてない(?し、流行ってるノースフェイスのビジネスリュックみたいなスクエア型だから悪目立ちしない。撥水性、耐久性もある。容量も十分あるし、値段も安い。ちょっとリュック状態から下ろして前面のポケット開ける時のジッパーの向きが気になるけど、これでほぼほぼ満足してる。コスパとしてはこれが一番満足度高いかも。
Paago WORKS FOCUS
今年サコッシュ風の斜めがけバッグが流行ったけど、それの延長でこれもいけるんじゃないかと思ったけど流石に大きすぎた。オシャレに寄せるには無理があるけど、普通によく出来たカメラバッグ。ミラーレスカメラとtheta、iphoneをまとめて突っ込めるので便利。ただ大型の一眼レフは入らないかも。
theta+自撮り棒+ミニ三脚
Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
RICOH 360°カメラ RICOH THETA SC (ピンク) + Velbon 自撮り棒 ULTRA STICK SELFIE 6段 セット
Manfrotto ミニ三脚 PIXI ブラック MTPIXI-B カメラ用
この組み合わせ。thetaを手持ちで撮ると自分の顔が近くに写り込んで悲惨だけど、自撮り棒とミニ三脚を組み合わせて先端にthetaをつけると簡易三脚に早変わり。これだけで全く別のカメラに生まれ変わった。厳密には去年買ったんだけど、別のカメラを手に入れたような気持ちなので。
MBビッグミリタリーシャツ
ついついメルマガを読み始め、ほだされて買ってしまった大きめサイズの肉厚シャツ。最初はデカさに着こなせるかな、と不安になったけど、着てみるとコートみたいに着れて、でも形はシャツだからすごく合わせやすい。中にパーカー着てもいいし、インナーダウン着てもいいし、アウターとしてヘビーユースしてる。なお受注生産なのでもう売ってません。
モノの価値って何で測れるのかというと難しく、払った金銭以上に道具が利益を産み出す事もなかなかない。いい道具を買って削減した時間を時給に換算するといくらか、みたいな計算も実情にそっているとは思えない。これを買った金が食費とか電気水道、健康保険、家賃のような生活費だったらどれくらい生きれたか、と考えると、ほとんどのものは生きるためには無駄みたいなものだし、そう考えるとほとんどのものに価値がなくなってしまう。だからモノの利用価値は自分で決めないといけない。払った代価と使った価値の間にどれくらいのレートがあるのかを見出さないといけない。
と、顕示欲にまみれた記事の後でよく言いますね、というところで以上です。
taronasu 松江泰治 gazetteer 展 /東京ステーションギャラリー 吉村芳生 超絶技巧を超えて 展
taronasuでの展示、見てきました。
展示ではモノクロとカラーの写真を上下に配置しているんだけど、カラーの中にははっとするくらい彩度の鮮やかな写真があって、いつものプリントの色づかいとは明らかに違っていた。もちろん大自然の中にある非現実的な色彩の風景を撮ったというわけではなく、モノクロと並べたことで色つき、色なしの上下の写真で比較することになり、人間が色彩から何を読み取っているのか考えがいくようになっている。
例えば海岸の先端部を撮った写真で、モノクロではその海岸のフォルムに目が行くけど、カラーでは鮮やかな青い海の映った写真にリゾート地での休息のような安易なイメージが浮かんでしまったり。モノクロ写真の方は明暗のコントラストがあまりついておらず、奥行きがわかりにくいけど、カラー写真は彩度の違いを追って視線が動くので自然と奥行きも見えてくる。
ただ、考えるべきは人間が色彩から得る情報の豊かさ、という事ではなく、モノクロの写真では読み取る情報が劣化してしまう人間の視覚情報処理体系、あるいはモノクロ写真に人間とは別種の情報を読みとっていく他の情報処理体系(例えば機械学習とか)への想像力ではないか。また、併置ではなくあくまで上がモノクロで下がカラー写真という展示方法に込められたなんらかのヒエラルキー。原形質としてのフラットな画像データという意味でモノクロ写真が上に配置され、それに脚色を加えたのが下のカラーで写真である、というような考え方。
非常に興味深かったです。
こちらも見てきました。展示の構成は記事の通り。
個人的には自画像を描いたシリーズよりも写真や版の下絵をグリッドに区切って座標情報を決め、大きな画面上のグリッドに模写、あるいは斜線を引く数で濃淡のパラメータを決めて転記していく手法が印象に残った。
版や写真という膨大に複製される像をグリッドの一マス一マスに記録していくことで定着させようという執念めいた行為。像に映った自分や風景を自らの手業で確定していかなくてはという強迫観念。イメージの氾濫により揺らぐアイデンティティを捉えようという執着。それがドット絵やカメラのセンサー画素の方法論と類似した形で生産体制のように確立し、後年の売り絵(展示のキャプションにそう書いてあるのもなかなかすごい)の花の作品群に展開されていく。ひまわりの絵なんか見ていてオプアートを見たようなめまいがした。
超精密写実画、行為としての記録表現、と様式から見てどちらかの箱に入れてしまうのは容易いけれど、複製物にグリッドを引いて一つの互換可能なデータ形式に変換し、新しい支持体に転記していくその手法にこそ、この作家の核心があるんじゃないかと思った。
新聞に自画像を書くシリーズは時事ネタに反応した表情が豊かでちょっとおもしろくなってしまっていた。
これも現物を見たら相当驚くと思います。ぜひ見に行ってほしい。
2019年劇場公開アニメ多い。
2019年公開のアニメ劇場作品が同じ日に発表。またしても劇場アニメの当たり年となるか。
いわゆる君の名はスタッフ。
湯浅監督と吉田玲子。
こういうのもある。SAOの監督がまど脚本。劇場版SAOのSFっぽいインフラまわりの描写が興味深かったのでこれも期待。
2019年劇場公開アニメ多い(タイトル回収)
ちょうど君の名はとかルーとか聲の形がヒットした年に、よしうちもいっちょアニメやるかと企画を立てるとこういう感じになるんだろうか。とはいえTV版と劇場オリジナルの違いはあるんだけど一緒くたに並べるとこうなる。
2016年といえばこの作品もそうでした。
やばいやつ
今のTVシリーズの勢いだと結構いくのでは
おれはみるぞ
2作目の出来もすごいらしい(未見
http://g-reco.net ぶっちゃけTVシリーズのストーリーを理解できていない
まだ何もわからない
まだ他にもあるけどこのくらいで。
マーベル映画とかも含めると今の映画館、オタク映画しかないんじゃないかという錯覚に。確かにオタクは帝国側という空気はあるのかも。
あと最後に見逃せないニュースなのが、君の名はで新海誠を光の世界に連れ込んだ川村元気が松本理恵監督とロッテのCMアニメを作ったこと。尖った個性で最終回で暴走しがちな松本監督作品も川村元気ならなんとかしてくれるかも。CMもバンプのタイアップとか血界戦線でファンに刺さった部分をわかってる作り。これは前フリなんでしょ。期待してます。
〜12/11 文喫
本の検索機はあえて設置しない。ジャンルごとに書棚を分けてはいるが、出版社別や作者の50音順に整理せず、あえてバラバラに並べることで偶発的な本との出会いを仕掛けている。
陳列で特徴的なのは、ジャンル・カテゴリー分類が非常にシンプルで、細分類やくわしい説明がないこと。平台にも、異なる本を積んだ“山”がドサッと置かれています。「私たちは何かしらテーマをもって選んでいますが、お客様がそのとおりに受け取る必要はないと思っています」「文脈を自由に“喫していただく”というのも、文喫のコンセプトのひとつです」(伊藤店長より)
朝日新聞の方のタイトルが妙な感じだったので別記事でフォロー。大まかなジャンルに分けて、店員が本をキュレーションして並べてるという話だった。
前からビルの上から下まで本が並んでる大型書店なら別に立ち読み代払ってもいいよな、とは思っていたので、文喫のような形態もありとは思うんだけど、1500円は挑戦的なお値段。それだけで本が買えてしまうお値段だからなあ。当てもなく本屋をさまよっておもしろそうな本はないか物色する、という行動はあるけど、それを1500円払ってやれ、と言われると、店も客も貧しいからね…という気持ちになってしまうかも。
とはいえ、本のキュレーションが魅力的で、その本の山を数時間に渡ってちょっとずつ崩して読む、という楽しみ方ができるならいい店なのかもしれない。立ち読み以上したいけど図書館には置いてない本とかも意外とあるので、そういう本がたくさん置いてあるなら行く価値はあるかな。
そういう狙いでここにも行ったことがあって、ここはマンガ喫茶に近いお値段だった。でも期待した程の本の品揃えもなかったので、2回目は行っていない。
でも、やっぱり行って見ないとそういうことはわからない。とりあえずブログのネタとしても一回行ってみようかな。
〜12/10 屋敷の話題
今年で築80年、躯体には問題がないものの、デザインを損なわずに改修することが難しい。またこの地区は美術館の新設が認められておらず、建て替えもできない。
原美術館の閉館情報の詳細。あの窓の部屋が一番好きだったんだけど、あそこはブレックファーストルームだったんだ。朝食のルームか(そのまんま
目黒庭園美術館の旧浅香宮邸の北の間も夏の暑さを避けるための部屋で、あそこの空間も好きだった。
あと熱海にあった古い邸のサンルームのタイルが良かったとか、ここらへんは後でブログのネタになりそう。
前回の資生堂ギャラリーでの展示でなぜかお化け屋敷的な評判で話題になってしまった富安さん。実際どんな展示なのか見てみたい。
前回の展示のレビューで、人が多すぎてよくわからなかったというオチがありましたね…。
今日は屋敷ネタ?という事でこちらもすごく気になってるプロジェクト。機会があればぜひ見てみたい。