スマホのカメラとgoogleドライブを使って本の引用集を作る

workflowyに読んだ本の引用集を作れたら便利じゃね?と思ってやり方を考えた。
とりあえず頭の中にこういう事がパッと浮かんだ。

  • いちいち手で文字起こしするのはめんどくさい。
  • かといって本を裁断してスキャナに取り込んで電書化するのも大げさ。必要な部分だけ引用できればいい。
  • 今やgoogleドキュメントがPDF内の文章を高い精度でテキストにしてくれる。

support.google.com

なので色々既存の手口を調べてこういう手順を踏むことにした。
なお、これはiosのメモ帳を使ったやり方になる。

 

1.メモ帳を開き「書類をスキャン」、引用したいページを撮影。そしてgoogleドライブにアップロード

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メモ帳を使うとこうやって引用したい部分を選択できて、そこからgoogleドライブにアップするまで一連の流れでできる。普通にカメラで撮影してもいいけど、引用部分をトリミングするのに一手間がかかってしまう。

2.googleドライブにアップしたPDFをgoogleドキュメントで開く。f:id:oktm3:20190114181949p:plain

画像をプレビューして上に表示されるボタンを押しても、右クリックから「アプリで開く」でもどっちでもOK。

3.googleドキュメントで文字起こしされたテキストをコピー。f:id:oktm3:20190114182222p:plain

こんな感じに段落、文字の大きさがガタガタになるけどとりあえず気にしない。

5.任意の場所に貼り付け。体裁を整える。

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貼り付けるとこんな感じになるけど、まああとは手修正。 自分はworkflowyに貼り付けてるけど、もちろん各自、好きな所に貼り付けてください。

一度読んだだけだと頭の中に定着しづらいし、引用集を作るためにざっくり読み返していけば再読になるのも良い。あとはとりあえず気に入った文章はテキストデータにしてしまえという気迫が大事。

特に目新しいやり方ではないけど、いかがだろうか。

年末年始アニメ関連インタビュー集、アニメの供給過剰問題について

年末年始になると一年の振り返り特集をあちこちでやっていて、それを読んでいる内にアニメ関連のインタビュー集ができてしまった。

レヴュースタァライトやらバンドリ2期のコンテンツで色々と賑わすブシロード、木谷氏インタビュー。アニメ、スマホアプリ、舞台、ライブ等多面的な事業展開、戦略の話が聞けて毎回興味深い。これくらいのエコシステムを作らないとコンテンツは回っていかないんだなと。

  業界レポートに定評ある数土氏の今年一年の業界振り返り。業界再編、Netflixの本格参入、CGスタジオ増加の話。

 

 「昨今のアニメは、作品の本数に対して手描きのアニメーターの数が足りていない。今のアニメの作り方では動かしていられないので止め絵になってしまう。それでは、映像が持っている本来の楽しさを損ねてしまいます。ラーメン屋が、食材が間に合わないので安いもので済ませてしまう、では困りますよね。それまでの信頼と実績で、しばらく持つかもしれませんが、いつかファンがいなくなってしまう。制作体制の関係で、アニメは落とす(放送に間に合わない)こともありまが、テレビ局がそれを許さなくなっている」

 3DCGアニメが増えれば、今度はCGを手がけるクリエーターが足りなくなるのでは、とも考えてしまうが、谷口監督や平川さんは「CGのスタッフは増えつつある」と話す。アニメ制作会社は、アニメーターの低賃金、人材不足、過酷な労働環境が問題視されることもある。谷口監督は「CGの制作会社は私が知っている限り、休日は休みましょうという発想があります。クリエーター希望の人もそういう会社を選ぶのではないでしょうか。手描きは残ると思いますが、今ほどの数にはならないと思います」という。

 スケジュール管理の問題と会社の労働環境の問題で自然と手書きアニメーターは減るだろうという話。状況からしてそうなるだろうなという。人情としてそりゃ一枚いくらよりも安定した収入が入ってお休みも取れる会社に入りたいよね・・・。

  

――製作本数の多さと、その弊害が表にでつつあることも2018年のトピックのひとつだと思います。そのあたりについてはどう思われますか。

田中:そろそろ減らさざるをえないタームがきているように思います。多少無理やりなことをしてでも、そうした選択肢をとらざるをえないというか。

吉澤:そうですね。

田中:正直なところ、体力的に生きるか死ぬかぐらいのところまできているような……ここまでくると制作会社やメーカーのヒットポイント勝負みたいな感じですよね。そんなチキンレースのような状態が今年も続いていく気がします。

こっちでもアニメの供給過剰の話が。

そしてこんなつぶやきも。

 そもそもアニメの制作本数がなんでそんなに多いのかというと、Netflixとかが参入するくらいアニメという表現方法は幅広い年代に親しまれていて、広告ツールとして非常に優秀だから。アニメにすれば漫画もラノベも音楽もキャラグッズも購買意欲の高いファンが商品を買ってくれる。ライブや劇場にも足を運んでくれる。だから色んな会社がアニメを作りたがる。でも肝心のアニメ本編のソフトはあまり買われない。テレビで視聴したり、ネット配信で見れればソフトを所有しなくても十分。そうすると肝心のアニメを作るスタジオにお金が入ってこない。そしてアニメーターにもお金が行き渡らず業界自体が貧しくなる。というのがざっくりした今の状況なのかなと。

 

anime.eiga.com

その変化は何かというと、これまであった映画の縦割り構造が完全にくずれて、横割りになったということ。言い方を変えると、映画が必ずしも映像の仕事の一等賞とは言えなくなった。これまではある種のヒエラルキーとして、アニメでも実写でも劇場用の長編映画をつくるのがいちばん偉いんだという意識が、僕もふくめてどこかにあったと思うんですよ。それに続いてテレビやビデオの仕事があるっていうね。それが最近はネット配信というものが加わってきて、実は一昨年ぐらいから僕のところにくる話って、ほぼ配信がらみなんです。100パーセントといってもいい。僕がその方面に向いている監督なのかはおいておくとしても、明らかに映像の発注元が変わってきた。

 

僕らの仕事というのは、世の中の都合にあわせてやるしかなくて、発注がきてはじめて成立する。でも今は、発注する側も実は何をどうしたらいいか、よく分からなくなってきている。それは企画の中身だけじゃなくて、これは配信でやるべき企画なのか、映画館にかける映画としてつくるべきなのか、テレビドラマなのかオリジナルビデオなのか……その根拠みたいなものがよく分からなくなってきていると思うんだよね。


このインタビューだとアニメの供給過剰、制作スタジオの疲弊の話は出てきてないけど、 映画が映像の一等賞でなくなったのならTVアニメは言わずもがな。必ずしもレッドオーシャンなTVアニメとして制作してソフトを売る事だけがベストなやり方ではないはず。どの媒体でどれくらいのコストをかけて商売をするのか、作品一本一本考えてやっていかないといけない。

むしろ制作会社が営業かけて企業CMの制作を受託したりとか、低予算で5分くらいの作品を自前のチャンネルで放送して、クラウドファンティングするとか。もうどこかのアニメスタジオがやっているような話だけど、そういう手を打っていかないとアニメスタジオはこの先生き残れないんだろう。

確かにこの調子だと中小のアニメ制作会社は淘汰されて制作できる本数自体が減り、日本で放映されるアニメの大半が3DCG化する時代がくるかもしれない。会社としても制作体制としても後発のCGアニメ制作会社の方がしっかりしているようだし、バンドリも2期で3DCGに移行したけど、正直クオリティは2期の方が安定して高いと思ってしまう。手書きアニメじゃないと見たくない、というレベルの差を見せている作品が今どれくらいあるのだろう。

手書きでも個性あるアニメーターならむしろ差別化できるだろうし、一人原画クラスならなおさらオファーが殺到するだろう。こちらは個人で生き残っていく時代になるのでは。

上手いことアニメ業界の経済が健全に回ってくれる時代がくると良いのですが・・・。

 

FUJIFILM X-T3 + xc16-50mmf3.5-5.6 ois ii

Paypayで買ったX-T3だけど数えるほどしか使っていなかったので、正月休み最終日にいつもの河川敷で撮影。フラグシップ機にxc16-50mmf3.5-5.6 ois iiというエントリー機のキットレンズを付けてるのはそれに見合うレンズを買うお金がないからに他ならない。こんなボディとレンズの組み合わせに需要はあるのか。レビューとか作例というには映える要素も蘊蓄もない。とりあえずやっていきます。

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橋の下です。消失点が好きです。

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ちょっと横にずれました。

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鉄道が通る橋

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高速道路と鉄塔

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自然観察路みたいなところ

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無機物

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河川敷にある池。鳥や水生生物、ビニールシートや段ボールでDIYされた家などが観察できます。

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これが一番作例サイトにありそうな感じがする。

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マンション。エテルナにフィルムグレインをかけて性格が暗いと禍々しい画になります。

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この上に乗りたい2019

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望遠端だとけっこう写る

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そして消失点に戻る。何だかんだでこのレンズで十分なんじゃないか。欲を出せばきりがない。

なお全部、フィルムシュミレーションに軽く補正しただけです。あとフィルムグレインが弱だけど以外と強くでる。作例に向かない。クラシッククロームが好きだったけど、エテルナに挑戦中。どちらも素だと色味があっさりだけどクロームの方が彩度を上げるといい感じになる。エテルナは色彩をいじってどうこうなる気がしない。何より自分が調整すると禍々しさが出る。なぜなのか…。

 

 

 

 

 

さよならの朝に約束の花をかざろう 

今作品で特筆すべきなのはその親子の関係性だろう。イオルフという人間よりも長命の種族の少女マキアが人間界に逃げ落ち、そこで赤ん坊のエリアルを拾い生活を共にしていく。逃亡生活の中でエリアルは青年に成長し、老いを知ることがないマキアを母親ではなく一人の女性として認識するようになり、その関係は破局を迎える。

マキアは母親としての役割を必死に演じ、エリアルと母子関係であることに拘る。男たちからの視線をうまく受け流し、エリアルの前ではただ母親であろうとする。この母子関係からは父性が入念に排除され、父親のないエディプスコンプレックスの帰結として、子が母を異性として自分の物にしようとする。だが、マキアはあくまでも母の役割であることに拘り、エリアルを子としてしか認識しない。エリアルはマキアという一人の女性を守るために騎士団へ入り大人に成長しようとするが、やがて幼馴染のリタと再会し、結婚をする。

やがて他国との戦争の果てに二人は再開する。リタの出産を見届け、マキアはエリアルに、逃亡生活の中でエリアルだけが生きる支えだった事、そして自分の名を読んでくれるのなら、その名は母親という名でなくてもよかった、という告白をしてエリアルの元を去っていく。母親と女性、母性と恋愛という二つのマキアの側面がギリギリまで肉薄する瞬間である。

出会った形が親子でなかったならば、また別の形もありえたかもしれない。だが最初に出会った時に生まれた関係性の形が親子であった。そしてその役割が生んだ関係性の形はあまりにも強力だった。言い換えるならば母親という役割は愛情という強いエネルギーに形を与える一つの金型にすぎず、母性という母が子に与える固定された愛の流れは存在しない、とこのシーンは語っているのではないだろうか。そして、それを描くために父性という設定はこの映画から取り除かれたのではないだろうか。

一方で同じイオルフとしてメザーテ軍に捉えられ、その王族の子を孕ませられたレイリアという娘の人生も描かれる。どんな形であれ自らの子を宿し、出産したレイリアにはマキアと同様やはりその娘だけが生きがいとなった。だが、出産後すぐに娘とは引き離されて幽閉され、半狂乱となってしまう。マキアとは対照的にレイリアは戦乱のさなかで一瞬だけ娘と出会い、私のことは忘れて、と伝えて、マキアと共に里に帰っていく。母親という役目に拘り、そして自らそれに縛られ、その境遇に止まる道を自ら選んだレイリアは、最後にその呪いを自ら引き剥がし、竜に乗って空に飛び去っていく。これも母親という役割に縛られた女性の決断の一つの形である。

ラストでマキアはエリアルの最期の姿を目にし、母親は涙を流さないという約束を破り、号泣する。やはり母親というのはかりそめの役割にすぎなかった。そして、愛でもあり呪いでもあった一つの愛情の関係性を肯定して、再び里へ帰っていく。

恋愛、親子愛という垣根を取り払い、ただ愛情という感情の結びつきを描こうとした本作だが、日本のアニメーション映画において、母子関係をここまで凝視し、解体してみせようとした作品は存在しないのではないだろうか。その域まで達した本作の存在は、過去、未来において牧歌的な母子の愛を語る作品に対して、強烈な異議を突き立てていくだろう。

ドラゴンボール 超ブロリーを見た。

 

過去の劇場版で描かれたブロリーというと、その圧倒的な強さで悟空やベジータらを叩きのめし、最後に悟空が勝てたのは単に脚本が破綻しているからでは、というくらいその強さばかりが記憶に残っている。劇場版のみの登場にもかかわらず、そのインパクトがあまりにも強烈だったため人気を得て今回の再登場となったわけだが、今作で描かれたブロリーの再解釈がとても興味深かった。

その潜在能力の高さ故にベジータ王に恐れられ、辺境惑星へと飛ばされたブロリーとそれを追いベジータ王への復讐のためにその星で我が子を育て上げた父パラガスがフリーザの手下により発見され、地球にいるベジータと悟空への刺客として放たれる、というのがあらすじだが、映画の構成としては大部分が戦闘シーンである。

今の時代にいわゆるドラゴンボール的な格闘シーンを描かせることは新旧アニメーターにとってとてもやりがいがある仕事だったと思うし、要所で使われた3DCGによる格闘シーンも技術的な挑戦だっただろう。

ファンとしても見たいのはやはり悟空、ベジータブロリーのパワーバトル。特に旧劇場版以降に追加されたスーパーサイヤ人ゴッド等の進化設定を受けた悟空達があのブロリーと戦ったらどうなるのか、という夢の展開のはずだ。そういう意味でも充分に期待に応える出来だったと思う。

また、単純に格闘アニメとして見所があっただけではない。物語の面でも注目すべき点があった。それは今回のブロリーが挑戦者として描かれている所だ。辺境惑星で育ったブロリーは人間以外の生物との生存競争をし、人間との格闘経験はパラガスのみだった。フリーザが語るように、悟空達と戦うには話にならず、戦いの序盤はベジータに圧倒されてしまう。だが、その潜在能力を示すかのようにバトルが続くにつれて延々とパワーアップしていき、最終的には悟空やベジータ単体のスーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人すら凌ぐまでに成長する。悟空達と競り合うようにどんどんパワーアップして戦いがエスカレートしていく様は視覚的な快楽としては非常に魅力的な物語進行だ。だが、それで打ち倒されて終わるだけならパワーインフレバトルと揶揄されても仕方なかっただろう。今作にはブロリーへの救済が用意されていた。

自制心を失ってパワーアップを続け、さらにフリーザの手でパラガスを殺される事でスーパーサイヤ人化するブロリーの姿は悲しい。だが、今作でのブロリーにはその境遇への理解者が存在する。そしてゴジータによって倒されるその時に、彼らによってドラゴンボールの力で元いた星に転送される。そしてその星で彼らと共に生活することになったブロリーは悟空からカプセルコーポレーションの生活キットを与えられ、再戦の約束をする。人間性のある生活が保証され、その有り余るエネルギーは復讐から純粋な強さの探求へと道を与えられる。ブロリーは今作で単なる破壊的な強さを示すだけの存在から、人間性を取り戻し新たな強さを見出していく魅力的なキャラクターに生まれ変わったのだ。

その他にも色々と感心する部分はあった。片眼鏡型スカウターフリーザサイヤ人を管理するために支給したという設定や、バーダックが下級戦士として生まれたカカロットへ示す愛情、その他各種設定に配慮され再解釈が加えられた演出など、今のドラゴンボールはここまで緻密になっているのかと感心した。

この作品で、ブロリーという再生されたキャラクターを加えた新世代のドラゴンボールに俄然興味を持てるようになった。ドラゴンボールの魅力がその格闘シーンであることに異論はないが、少なくとも今作が示した物語の方向性はただパワーアップして敵を打ち倒すという単純な図式ではなかった。純粋にアクション劇として高レベルな作画を見せただけでなく、物語として新たな方向性を見せた本作品は歴代の劇場版ドラゴンボール作品と比してもベストな作品だと言いたい。

売野磯子 ルポルタージュ

売野磯子 ルポルタージュを読んだ。

恋愛が時代遅れになり、恋愛関係を飛ばした結婚が当たり前になった時代の話。そんな「飛ばし」による結婚を目的に集まった非・恋愛コミューンでテロが起こり、その事件のルポルタージュを書くためにコンビを組んだ先輩、青枝と後輩の絵野沢、事件の犯人を支援していたNPO邦人代表の國村との間で起きる三角関係の話。

事件の調査が進むにつれ、メンバーの人となりが明らかになっていき、非・恋愛を名目に集ったコミュニティ内にも様々な価値観の違いがあることが見えてくる。そして当初宗教がらみと思われた犯人のテロの動機が、恋愛をしたくてもできない自らの境遇から、近所に住む非恋愛コミューンのメンバーの生活を目の当たりにして恨みを持ったことによるものではないか、という推測が生まれる。事件の謎と並行して、青枝と國村の間に時代遅れとなった恋愛、しかも一目惚れの関係が生まれ、また絵野沢の青枝への恋心、あるいはなんらかの感情が起こり、関係が変化していく。

この作品は、恋愛関係や結婚への忌避感と、インセル、女性蔑視、非モテが絡み、もはや恋愛することが馬鹿にされ、新たな軋轢が生まれた時代に芽生えた恋愛感情はどう結ばれるのか、というテーマを異性同性を含めて描いている。

契約ライクな結婚という流行った題材にインセル問題を絡めて、恋愛者がもはやマイノリティのように扱われているという一手先を打った設定や、またルポルタージュの取材によって事後的に事件の被害者達の人となりが明らかになっていく構成もおもしろい。…と思ったら3巻で打ち切り、しかし無事に、その後「ルポルタージュ〜追悼記事〜」として再び連載が始まっている。

賞レベルの社会派ミステリー作品にも引けを取らない出来なんじゃないかと思っているので、これからの展開に期待しています。

OVA、TV版機動警察パトレイバー各話を分類してみた

NETFLIX機動警察パトレイバーOVA版7話、TV版47話、新OVA版16話の配信が始まった。

www.netflix.com

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公開された時系列的には漫画版→OVA版→劇場版→TV版→新OVA版→劇場版二作目→劇場版三作目という流れになっている。ただwikiによるともっとも公開が早かった漫画版の連載より先にOVA版の全ての脚本は完成していたとの事。パトレイバーはどのメディアが原作という事ではなく、メディアミックス作品としてヘッドギアのメンバー(ゆうきまさみ出渕裕伊藤和典押井守高田明美)を中心に各種企画が進められていた。

機動警察パトレイバー - Wikipedia

これらを改めて見直してみると、すでに指摘はされている事だが、劇場版二作目の話の雛形はOVA版5、6話で登場しているし、後のシャフト編、廃棄物13号編を思わせるシナリオも存在する。また、劇場版一作目、TV版で似たような場面だがリアリティ描写のレベルが相違しているシーンが存在しているのも興味深い。

そこで劇場版2作品とシャフト編、廃棄物13号(劇場作品WXIIIも含む)編という類型を便宜上あえて作り、OVA版、TV版の話をこの4類型に分類してみようと思う(実際にはもう数パターン作れるはず)。

現時点で全話を見きれていないが、視聴次第、随時更新していきたいと思う。

 

劇場版 1作目(暴走レイバーパターン)

OVA

  • 第2話 ロングショット
    遊馬と香貫花による爆弾解体シーンが箱舟の解体シーンと類似しているように思える。また歩道橋で立ち往生をしたアルフォンスが飛行船を使ってジャンプするシーンがあり、これは劇場版2作目の飛行船シーンと若干の関連性を感じさせる。

TV版

  • 第5話 暴走レイバー X10

劇場版一作目冒頭にも挿入される自衛隊試作レイバーの暴走事件。ただTV版だと、X10がいきなり自衛隊レイバーやヘリと実弾で撃ち合ったり、ほぼ被弾したような描写があってもイングラムが割と無傷だったりする。劇場版一作目の空挺レイバーとの交戦シーンや劇場版2作目の無人砲台との戦闘でイングラムがボロボロになったのを思うと、だいぶリアリティの緩い描写になっている。あと遊馬が乗り込んで暴走レイバーを止めるシーンもある。

  • 第6話 ザ・タワー・SOS

やや箱舟のシーンを思わせる巨大タワー内での救援活動。劇場版一作目でも見られるウィンチを使用したレイバーアクションも。

  • 第7話 栄光の97式改

突如一課に納入された出どころの怪しいレイバーについて遊馬が調べるくだり。ほっといても遊馬が調べるだろうという後藤隊長の放任ぶりなど劇場版一作目を思わせる。また一課に新型が導入される話はこの後、アニメ、漫画でも引き続き描かれる。ちなみに軍に動作データが転用される疑いがあるため、南雲隊長が上層部にレイバー隊を再編して新型に太田を乗せるぞと脅しをかけて難を乗り切る荒唐無稽さがおもしろい。

  • 第10話 イヴの罠
  • 第11話 イヴの戦慄

漫画のグリフォン初出時をやや思わせるアニメオリジナル展開だが、ファントムの手刀をイングラムが脇に抱えるシーンは零式との格闘シーンに類似している。

 

劇場版 2作目(クーデター)パターン

OVA

  • 第2話 ロングショット

前述の通り。

  • 二課の長い一日

各所で言及されている通り、劇場版2作目の原型となる作品。戦車が高速道路を走るシーン、雪が降り積もった東京での自衛隊によるクーデター劇、南雲隊長の実家のシーンも登場する。また空挺レイバー開発目的がバビロンプロジェクトの民間需要縮小から軍事需要へのターゲット変更を睨んでのものだ、と言う話が興味深い。なお、ここでの南雲隊長は、警視庁占拠を目論む自衛隊との直接交戦を避けようとする上層部と対立し、桜田門決戦を主張する。そして事前に自衛隊の蜂起を予見していた後藤がクーデター首謀者の甲斐の内通者であると判断した警察幹部から、その仲間であると疑われてしまう。そこで捉えられようとしたところに肘鉄を炸裂させる場面がある。ヘリとレイバーの交戦シーンも登場するが、どちらかといえばヘリのコクピットを思わせる陸自のレイバー描写の方が後の劇場版二作目を思わせる。

ちなみに後藤と甲斐の関係性を見ると、劇場版逮捕しちゃうぞは劇場版二作目だけでなく、この前後編も参照しているのではと思った。

TV版

  • 第9話 上陸 赤いレイバー

またしても軍用多脚レイバーの話。軍用レイバー相手じゃまともにやっても勝てない、というけどその前のX10との戦闘シーンと軍用レイバーに対する捉え方の相違が感じられる。胡散臭い公安が後藤隊長に話を持ちかけ、最後に陰謀を暴かれるパターンが登場しているのであえてここに分類した。

 

廃棄物13号(WXIII)パターン

OVA

  • 第4話 4億5千万年の罠

カップルの女性が怪獣に襲われる場面、海底作業用レイバーによる探索、魚の異常繁殖、水中音波で怪獣をおびき寄せる案(ここでは企画倒れに終わる)等、後の漫画版廃棄物13号編に先行した場面が散見される。廃棄物13号編はこの話が元であるという発言もあるようだ。また、決戦前に銃器の使用で盛り上がる太田のシーンは劇場版一作目の「嵐がくるぞ〜」の場面を思わせる。初代ゴジラのパロディ回だけど、のちにシン・ゴジラパトレイバーっぽいと言われるのを考えると、この話は意外と重要な参照項と言えるのではないか。

TV版

実験動物が巨大化したという意味で。

  • 第15話 唄を歌うクジラ

OVA版では怪獣じゃなくてクジラでしょ、という香貫花のシーンがあったが、この話は本当にクジラの話。海底用レイバーから発する音波でひろみちゃんがクジラをおびき寄せる。怪獣とマスコミ報道についての描写も多い。

ジオフロントという地下施設でテロリストを追跡していると謎の巨大生物に遭遇する話。劇場版1作目に怪獣要素を加えたような作風で、珍しく香貫花が2号機に搭乗するところは1作目を意識したのだろうか。レイバーと怪獣の格闘シーンも凝っている。

 

シャフト編パターン

OVA

  • 第7話 特車隊、北へ

ブロッケン盗難事件にシャフトが捜査協力の名目で事件を隠蔽しようとする話。硬軟使い分ける漫画版初期の頃のノリを思い起こさせる。

TV版

  • 第7話 栄光の97式改

 TV版シャフト初出回。警察用レイバーの運用データを軍に転用するという話にシャフト編らしさが出ている。

  • 第10話 イヴの罠
  • 第11話 イヴの戦慄
  • 以降のファントムおよびグリフォン編(新OVA版含む)

漫画版のグリフォン編に近い展開なので一旦割愛。ここらへんは視聴後に追記予定。

 

というわけで、漫画、新旧OVA、劇場版と各種メディアで展開されてきた機動警察パトレイバーだが、各メディア間で話の類型やモチーフ、描写などが似通っている点が非常に多い。同時期にメディアミックスが行われていたのだから当たり前ではあるが、あえてそれを指摘することで、企画集団ヘッドギアの作品としてのパトレイバーをもう一度捉え直して見たいという気持ちがあった。漫画版は言うまでもなく、旧OVA7話と新OVA全13話、劇場版三作目は押井監督作品ではない。

なお実写版パトレイバー押井守以外のヘッドギアメンバーの了承を得ておらず、製作中の新作は押井守抜きで制作が進められているという事情があることも考慮している。

本来ならば漫画版全話も合わせて分類すべきだが、そこまでには至っていない。いずれ時間と機会があればやってみたいと思う。