グーグルフォトが自動生成したスライドショーに涙した人の話

グーグルフォトが自動生成した娘の成長記録のスライドショーに泣いてしまったという話。これからはAIが編んだ個人史を自らの記憶として生きていく時代が来るのでは、と。まあ娘の写真を成長順に並べたらだいたいお父さん泣いちゃうよねというのは置いておいて。それにしてもこの話、攻殻機動隊の存在しない娘の写真を大事にする男の話によく似ている。

AIによらずとも写真による記憶の改竄ってこれまでにもあったんじゃないだろうか。はいチーズ、という声かけ、自撮りのピースサイン、これから未来に向けてこの出来事が楽しい事であったかのように見せる演出。その積み重ねで写真アルバムが、あるいはインスタグラムが編まれていく。そして記憶の結びつきが弱い過去は写真の中の姿形へと置き換えられていく。忘却を前提に記録は積み重ねられ、その間隙を編者が割り込み、その意思によって歴史が編まれていく。

と、また気取った文章になってしまったけど、結局編集者が誰なのかをいかに注意深くみていくか、という話には変わりがない。何なら自分で作った思い出のスライドショーの方がひどく偏向している可能性だってある。いや、そちらの方が相当に高い。